検査入院を終え、久しぶりの我が家。
大きく息を吸う。
「ただいま、だね!」という私の声に、【ボク】は手足をバタバタとさせた。
割高な粉ミルク
丁寧に靴を揃える。
廊下を抜けた先は見慣れたリビング。
全体をゆっくりと見渡す。
お姉ちゃんの通園かばんは見当たらない。
「ちゃんと保育園に行ったんだ。」
朝ご飯にパンを食べたらしい食器は綺麗に洗いあがっている。
パパが洗ったかな?
義母かもしれない。
机の上に粉ミルクが置いてある。
入院中にLINEで夫に頼んだものだ。
レシートを見ると割高な値段。
「仕方ないな。」と思った。
「私がいなくちゃダメだな。」とも。
【ボク】を抱っこ紐から降ろし、マットに寝かせる。
私はソファーに深く腰掛け、【ボク】を見ていた。
「ほんと、可愛い赤ちゃん。」
「病気になんて見えない。」
「この子はどうなっていくのかな。」
「怖いな。」
「怖いよ。」
てんかんノート
入院時に女医から1冊のノートを渡された。
「てんかん発作の記録用ノートです。
発作が起きたら回数数えてこのノートに記録してくださいね。
はっきりとわかるスパズム発作なら〇、無呼吸とかビクつきとかその他の発作なら●してね。
ま、お母さんがわかるように書いてくれたらいいから。」
「ついでにこれも渡しておくね。
てんかんの教科書みたいなもんだから。
グレープフルーツや銀杏はてんかんの薬と相性悪いから食べないでね。
薬が効かなくなるから要注意ね!」
中をちらっと見てみる。
頭を保護する帽子をかぶった子供の写真や、発作が起こった時に周囲はどのように対応すればいいか、などと書かれていた。
ペラペラと流し読みし、「まだ先の話か。【ボク】には関係ないな。」と本棚にしまった。
てんかんノートへの記録
それからというもの、私は常に【ボク】を意識して過ごしていた。
「発作を見逃すまい」と常に視線の中に【ボク】を入れていた。
発作が起きると【ボク】に走り寄り回数を数える。
何回見てもその光景に慣れる事はない。
苦しそうで、辛そうで、まるで【ボク】じゃないみたいに表情が固まる。
見ていられない。
でも目を背けられない。
私しかいないのだから。
地獄からの解放
なんとエクセグランを飲み始めてから2日目、数カ月続いた夕方の大泣きがなくなった。
あの、【人生の終わり】みたいに全身を震わせて泣き叫ぶ1~2時間。
どうすることも出来ず、見ている事しか出来なかった。
時には大泣きの【ボク】を置いて逃げたくなった。
そんな地獄から解放されたのだ。
「あれ?この時間、テレビの音が聞こえる…?
このキャスター、こんな声だったんだ…
なんで今までこのニュース番組がろくに見れなかったんだっけ…?」
…
いつもの大泣きがないことに気づくのに時間がかかった。
「【ボク】!
今日は泣かないの?
泣かなくていいの?
ママ嬉しいっ!!」
思わず【ボク】に抱きつく私。
お姉ちゃんが横で【ボク】の頭を撫でている。
お姉ちゃんも辛かったよね。
毎日【ボク】が泣いている時間は、ママがピリピリしていて…
保育所頑張って帰ってきたのにね。
絵本読んでほしかったよね。
好きなテレビ見たかったよね。
ニコニコでみんなで遊びたかったよね。
今まで沢山我慢してくれていたね。
ごめんね…
ごめんね…
お姉ちゃんの事をギュッと抱きしめた。
『きょうだい児』という言葉を知ったのは、その少し後のことだった。
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